長福寺跡
九条政基が住み現地支配の拠点とした寺
1501年(文亀元年)から1504年(永正元年)までの約4年間、九条政基が長福寺に住み、現地支配の拠点としました。
「政基公旅引付」には、山毱打(左義長)などの行事や入山田の住民が風流踊りを披露しに来たことなど、さまざまな出来事が記されています。
長福寺は1611年(慶長16年)の史料を最後にその名が見えず、その前に廃絶したと思われます。
1501年(文亀元年)から1504年(永正元年)までの約4年間、九条政基が長福寺に住み、現地支配の拠点としました。
「政基公旅引付」には、山毱打(左義長)などの行事や入山田の住民が風流踊りを披露しに来たことなど、さまざまな出来事が記されています。
長福寺は1611年(慶長16年)の史料を最後にその名が見えず、その前に廃絶したと思われます。